「Duolingoへの質問」へようこそ。このコラムでは言語学習者へのアドバイスを紹介します。過去の記事はこちらをご覧ください。

みなさん、こんにちは!今回は少し哲学的な、言語学習上の重要な問題に深くかかわる話題を取り上げたいと思います。1つの記事で扱うには少し深すぎるテーマですが、できる限りお答えしていきたいと思います。もっと深く知りたい内容については、こちらへのお便りをお待ちしています。

今回の質問:

Duolingoに質問です。  子どもが自然のままに育ったとしたら、どんな言葉を話すようになるのでしょう?例えば2人の子どもが、生まれてすぐに社会から断絶されてしまったとしたら、その2人はどのようにコミュニケーションするのでしょうか?そして、どんな言語を使うのでしょうか?  よろしくお願いします。 会話好きの学習者より

興味深い質問をありがとうございます!実はこれ、複雑かつ深いテーマなんですね。何世紀も前の人ならば、この質問には「ラテン語!」「ヘブライ語!」「古代ギリシャ語!」などと答えていたことでしょう。しかしこれは、歴史ある由緒正しい言語だからという理由で、そう考えられていたにすぎません。結論から言えば、2人の子どもが他からの影響を一切受けずに一緒に育ったとしたら、彼らはまったく新しい、これまでに聞いたことのない言語を作り上げると思われます😍

このような結論の裏付けとなる研究は多くありますが、もちろん、本当にテストしたわけではありません。そもそもテストすべきでもありません。意図的に子どもたちを社会から切り離したり、家族や言語を奪ったりするなんて、考えるだけで恐ろしいことです。実際、心理学者や言語学者の間では「禁じられた実験」とさえ呼ばれています。それでもこの質問が繰り返し問われているのは、なぜでしょうか?

「禁じられた実験」

会話好きの学習者さんの質問が研究者の関心の的となってきた理由の一つに、臨界期仮説というものがあります。臨界期仮説とは、「脳には、言語などを習得するための臨界期(年齢的なタイムリミット)がある」という仮説です。そもそも臨界期が存在するのかどうか、そして存在するとしても実際には複数の臨界期が存在する(習得のタイムリミットが第一言語と第二言語で異なる、または語彙と発音で異なる、など)のではないかという点については、長年研究が続けられてきました。また臨界期を過ぎてから言語を学ぼうとした場合は、どうなるのでしょうか?

第二言語の場合は、習得のプロセスを調査分析するのも比較的かんたんです。あらゆる年齢層の人々が新しい言語にチャレンジしているので、年齢や学習言語、学習方法などの違いによって、習得度を比較できるからです。

しかし、第一言語を学び始める年齢によって発達にどのような違いが生じるかを調べたくても、情報は非常に限られています。通常、人は生まれてすぐに家族から言語を学び始めます。でも、もし2歳、7歳、13歳、さらには20歳になるまで、どんな言語にも触れたことがなかったとしたら?人間の脳は何歳になっても第一言語を習得できるのでしょうか?それとも、脳の自然な発達は子どもの頃に終わってしまい、ある年齢を超えると、第一言語を身に着ける能力さえも失われてしまうのでしょうか?

これについて実際に実験を行い検証するわけにはいきません(そもそも倫理的に許されません)が、何らかの特殊事情により子どもがこのような状況に置かれ、臨界期と言語学習に関する有益な情報が得られたケースはいくつかあります。(注意:こうした状況の中には、かなり悲惨なものもあります。このコラムでは状況の細部に立ち入ることは避け、言語習得に関連する部分だけに焦点を当てます。)

「野生の子どもたち」と少女ジニー

言語の習得に臨界期があることを示唆するデータの一つに、何らかの理由により家族や社会とのつながりが絶たれてしまった子どもたちの事例があります。主に育児放棄や虐待のため、子どもが外部の人や養育者と一切交流を持たず、言語に触れる機会もないまま育ったようなケースです。これはいわば異常な生育環境であって、「生活全般に不足はないが言語だけが欠けている」場合とは異なります。このような「野生の子どもたち」は、自然の中で一人で育った場合もあれば、何らかの形で虐待を受けた場合もあります。

特に心理学者らの注目を集めたケースの一つは、ジニーというニックネームで呼ばれる少女でした。ジニーは虐待を受けて一人きりで部屋に閉じ込められ、言語を学ぶことなく13歳まで育ちました。その後何年にもわたって言語療法が行われましたが、彼女の英語を理解する能力、そして単語の発音や文章の作成能力は、ついに幼児レベルを超えることはありませんでした。ジニーの脳は、発達上の年齢的限界(つまり臨界期)を過ぎてしまい、言語を完全に習得する能力を失ってしまったと考えられます。

子どもたちは遊び場で独自の言語を発明する

その一方で、他の事例からは、子どもたちが自力で独自の言語を発明できることも判明しています。これは、会話好きの学習者さんの質問に対する答えとも言えますね。

例として、ニカラグアにおける聴覚障がい児に関するケースを見てみましょう。

多くの場合、聴覚障がい児は正常な聴覚を持った家族のもとに生まれます。そのため幼いころから手話を学ぶ子どもは、ごく少数です。また国や地域によっては、聴覚障がい者のコミュニティで使う標準的な手話が存在しないこともあります。1970年代以前のニカラグアも、そのような状況にありました。当時の聴覚障がい者がいる家庭では、健常者とのコミュニケーションにジェスチャーが使用されていましたが、これは手話と呼べるものではなく、家の中でだけ通用する一種の決まりごとにすぎませんでした。そのため聴覚障がい者のための国立学校が創立されるまで、聴覚障がい者どうしが交流することはまれでした。さて学校が始まると、そこに集まった大勢の聴覚障がい児は、共通のコミュニケーション手段を持たないまま、一緒に学び遊ぶ必要性に迫られました。

ところがこの子どもたちは、まったく新しい手話を自発的に生み出しました。ごく短期間のうちに、各家庭で使っていた様々な身振り手振りをもとに、彼らだけの「共通語」を発明してしまったのです!それだけ、彼らの脳はコミュニケーションの手段を探し求めていたということでしょう。学校の第一世代の子どもたちが発明したこの独自のシステムは、その後も世代が変わるたびに、より体系的でより複雑なものへと進化し続け、ついには完全な言語の域に達しました🤯

彼らの脳は語彙、文法規則、表現方法(手の形や位置など)、会話のルールなどをその場で次々と産み出し、誰かに教えてもらう必要もありませんでした。これは、すでに言語を受け入れる準備ができていたからに他なりません。この小さな子どもたち、そしてその後この学校に入ってきた子どもたちは、言語習得の年齢的限界(臨界期)に達していなかったと考えられます。この「手話を発明したニカラグアの子どもたち」の詳細については、Radiolingoのエピソードでもぜひ聞いてみてください!

言語アクセス

これらのさまざまな事例が教えてくれるのは、言語アクセスの重要性です。「言語アクセス」という言葉は、文脈によって多少意味が変わりますが、たとえば、ある都市が重要な緊急情報を多言語で公開していれば「言語アクセスが確保されている」と言えますし、子どもが自分の理解できる言語を通じて世界観を広げていく様も「言語アクセス」と呼ぶことができます。

言語アクセスの問題は、ニカラグアに限らず、聴覚障がい者のコミュニティ全体にかかわる重要課題です。聴覚障害を抱える赤ちゃんは、ある程度の聴力があったとしても、周りの人が話す言語に触れる機会がありません。相手がどんな口調で話しているのかを感じ取ることができず、目が合わないかぎりは自分が話しかけられていることにも気づけません。読唇などの視覚により言語を認識する方法もなくはありませんが、視覚のみで学習することは不可能です。また、ほとんどの聴覚障がい児は聴覚に問題のない親のもとに生まれるため、生まれてすぐに手話に親しむ機会を得られる赤ちゃんは、そう多くはありません。

先ほどお話ししたジニーやニカラグアの子どもたちの事例に加え、その他の多くの研究からも、私たちの脳は言語を欲するようにできているように思われます。あたかも脳というコンピューターが、自身に備わるソフトウェアを運用するため、言語による入力を必要としているかのようです。言語に触れるタイミングが遅くなれば、言語発達だけでなく、読み書き、実行機能、抑制制御の能力などの他の認知機能にも悪影響を及ぼします。

これは、また別の機会に取り上げる価値のある、非常に興味深いテーマですよね。ぜひみなさんの感想や意見を、『Duolingoへの質問』まで送ってください。

確かなことは...

脳は言語を必要としており、言語をどう扱えばいいかも知っているということです。言語は、人が世界と交流する重要な手段であり、私たちのもつ他の能力にも大きな影響を与えます。言語こそが人間の脳のオペレーティングシステムである、と言っても過言ではありません!

言語や学習に関するご質問は、dearduolingo@duolingo.comまでメールでお問い合わせください。