「音楽は世界の共通語」と言われることがありますが、本当にそうでしょうか? また、音楽が世界共通ではないとしたら、この言葉は何を言おうとしているのでしょうか?そこで今回は、音楽の普遍性について考えてみたいと思います。文化の違いによってどのように音楽が異なるかを比較すれば、逆に音楽の普遍性が見えてくるはずです!

「音楽」とはそもそも何か?

まず、「『音楽』とはそもそも何か?」について考えてみましょう。これは、当たり前のようでいて案外難しい質問です。なぜなら、その人の経験や育った文化によって、何を音楽とみなすかが異なるからです。ある人が音楽だと思っているものが、他の文化圏の人にとっても音楽であるとは限りません!

たとえば、小学校の授業で12音階(ドレミファソラシド)の楽譜の読み方を習い、リコーダーを練習した人ならば、4万年前の笛のかけらを見て「ほらね!音楽はこんなに昔からあったんだから、人類共通のものに違いない!」と確信することでしょう。しかし問題は、すべての社会が笛を楽器として使い、12音階でメロディーを作るとは限らないということです。地球の反対側で何千年も後に生まれた音楽が、私たちの考える「音楽」とは似ても似つかないものになっているという可能性も十分にあります。では、「音楽とは何か」は、どのように定義したらよいのでしょうか?

さらに、文化に基づく特定の慣習を「音楽」として扱うかどうかも、見方(あるいは聞き方)によって異なるものです。たとえばお坊さんの読経の声は、始めて聞く人にとっては音楽に聞こえるかもしれませんが、仏教を信仰する人にとっては「朗読」にあたります。

そして、音楽が演奏し、愛し、かつ聴くことのできるものであるという考えですら、私たちの文化に特有のものです。一定の音だけを他の身体活動(ダンス、お祭りのおはやし、祈祷など)から切り離して「音楽」と呼ぶのは、あくまでも西洋における習慣にすぎません。世界には、私たちには「音楽の演奏」のように見える動作に対し、それを表現する特定の言葉を持たない文化や言語だってあるのです。

では、何を「音楽」と呼ぶべき?

音楽の研究者は、何が音楽か音楽でないかを決めるのではなく、音楽の特徴に注目してきました。たとえば多くの文化圏では、音楽を2拍子、3拍...と言った具合に分類することができ、左右非対称の音階が使われています。このような要素を、コミュニティで採用されている特徴として、一つひとつカウントしていくのです。

ここで仮に「12音階を使い笛で演奏することが音楽である」と決めつけてしまったら、世界中を探し回ったとしてもこれにあてはまるものは非常に少なくなります!「音楽は人類共通である」と言いきるには、世界中の人が、自分たちが「音楽」とみなす行為が他とほぼ同じだということを認める必要があるのです。世界にどれだけの数の文化やコミュニティがあるかを考えれば、これはほとんど不可能に近いと言えるでしょう。その代わりに研究者は、場所や時代を超えて共通する「普遍的な」音楽の特徴を見つけようと取り組んでいます。

結局、音楽は世界共通?

人間の体は基本的には同じ構造をしているため、いろいろな音楽に共通する構成要素である「歌う」や「ビートに合わせて動く」といった能力は人類共通であると考えるのが妥当でしょう。ただし異文化の音楽は、自分がこれまで接してきたものとは劇的に異なるかもしれません。そう、まさに言語と同じなのです!